持統女帝が妃(鸕野讃良皇女)の頃、愛息の草壁皇子を連れて、夫と大津宮から吉野へ下った道とみられています。 中ツ道は藤原京の幹線道路であり、周辺地域とつながる道でもありました。 平城京とも深いつながりがあり、平城京の都市設計を考えるうえでも非常に重要な道路となっています。