飛鳥と吉野を結ぶ古道にある峠です。 大海人皇子(のちの天武天皇)が壬申の乱の直前、鸕野讃良皇女らと共に 近江から飛鳥嶋宮を経て吉野入りした際もこの道を通りました。これから始まる吉野での隠遁の生活や壬申の乱の不安を背負いながら、歩いたのでしょう。持統女帝は、夫である天武天皇が亡くなってからも、夫との思い出の吉野へ、この峠を越えて30回あまりも訪れました。