「この教えは諸法の中でも、最も優れております」。百済の聖明王から、仏教信仰の功徳を聞いて喜んだ欽明天皇ですが、もう1つ、天皇や当時の人々を驚かせたものがありました−−仏像です。それまで日本の神々は、山や岩、木などの自然物、鏡などの依り代に宿ることはあっても、具体的な姿ではイメージされていませんでした。そこに金銅像という形で現れたのが「仏」だったのです。その光輝く姿を見た天皇は、非常な感銘を受けたといいます。いままでとまったく異なる文化に出会った衝撃。こうして、日本での仏教の広がりに、仏像は重要な役割を担うことになります。
仏教受容派の蘇我氏と否定派の物部氏ですが、必ずしも絶対的なものではなかったようです。近年、物部氏の住居跡から氏寺の遺構が発見されるなど、私的に仏教を信仰していた形跡があり、また蘇我氏も決して神事を軽視していたわけではありません。古より神事に携わることで、朝廷での権力を保持していた物部氏・中臣氏に対し、蘇我氏は渡来人や朝鮮半島との関係を深め、新しい文化を取り入れることで対抗しようとしました。そうした朝廷での権力争いが「崇仏vs排仏」という形で表面化したと言えるようです。